例えば「憲法9条があれば、他国は日本に攻めてこない!」といったような、極めて現実味に欠けた定番の左寄り思考を指す「お花畑」という表現はすっかり定着しています。
一方、もはや完全にパッケージングされた「愛国しぐさ」で着飾って闊歩しながら、その首からのびる鎖はアメリカという飼い主に握られているポチが暮らしているのも、実は「全く同じ」お花畑。
自主独立の気概なく、お決まりのキーワードへの詠唱と脊髄反射にかまけて思考停止するのは、右っぽかろうと左っぽかろうと、造花と描き割りと照明によって閉じた部屋に設えられた「お花畑セット」に引きこもる事に他なりません。
だけど、その合板のカベの向こうは…

現実の花畑って、決して生易しい空間ではありません。
わけ入れば虫がいっぱいで刺されまくり、葉や棘で傷だらけ、靴は泥だらけ。風雨もしのげず、空がぐずつけば落雷に怯え、喉の乾きや飢えを紛らわす術もなく。大体、花が咲き乱れ美しい時期なんて一年でもほんの少しだけ。
だけど人間とは不条理なもので、そんな花畑の光景に、匂いに、皮膚に受ける感触に、心を底から揺さぶられてしまう。
本物の花畑は、「あらゆる生命の死」に由来する養分で咲き誇り、やがて枯れ朽ちて、自らも次の花の滋養となるのを繰り返します。
密閉空間で、ビニール樹脂のお花畑で生きて死んで、ただ腐り、照明の熱で干からびたくはない。





















